手帳は私を縛らない。縛っているのは、手帳を持った私がどう見られるかという想像だ。

手帳を取ると広がるもの

手帳を取ると、制度の入口が広がる。交通機関の割引、税金の控除、サービスによっては手帳が必要なものもある。生活の選択肢が増えることは、間違いない。

でも、その広がりを受け取るためには、「障害者」という言葉を自分の名前のように持ち歩くことが必要になる。窓口で、申請書で、会話の中で。

言葉を持ち歩くことの重さは、数字では測れない。

「障害者」という言葉を貼る恐怖

通っていることが、負けのように見える日があるに書いた感覚と根っこは同じだと思う。作業所に通っている事実すら、人には言えずにいるのに、手帳という形のある証拠を持つのは、さらに大きな一歩になる。

手帳は私を縛らない。縛っているのは、手帳を持った私がどう見られるかという想像だ。想像だと分かっていても、想像から抜け出すのは難しい。

この恐怖は、弱さではなくて、「普通に生きたい」という願いの裏側にあるのだと思う。

口に出せないまま飲み込む種類の話としては、相談するほどではないけど、ずっと残る作業所の違和感も近い場所にある気がします。大きな問題ではないからこそ、言葉にするコストだけが先に立つ。

等級の数字が、自分を決める気がする

調べると、等級の話が出てくる。一級、二級、三級。数字がつく。その数字が、私の苦しさの大きさを決める気がしてならない。

苦しさは数字にならない。同じ診断名でも、困りごとの形は人それぞれなのに。数字で順位をつけられることへの抵抗感が、申請への一歩を遠ざける。

制度上の等級と、私の毎日の重さは、別の物差しで測られている。この二つを混ぜないことが大事なのだと、最近少しだけ思えるようになった。

統計や制度の事実は、一次資料へ

手帳の種類や等級、申請の流れといった制度面の正確な情報は、このサイトでは扱わない。inclusion-labのような統計サイトや、市区町村の窓口で確認した方が確実だ。

ここで扱いたいのは、申請書の書き方ではなくて、申請書を前にしたときの気持ちの方だ。

制度の事実と気持ちは、別々に管理していい。混ぜると、どちらも曖昧になる。

取らない選択も、保留も、全部あり

手帳を取らない選択もある。取らずに過ごしている人の生活も、ちゃんと存在している。取ることが正解とは言えないし、取らないことが逃げとも言えない。

保留にすることもできる。迷ったまま半年、一年と過ごしても、手続きはいつでも始められる。急ぐ理由がなければ、心の準備ができるまで待ってもいい。

週何日通えれば、ちゃんとしていることになるのかに書いた採点の癖と同じで、「いつまでに決めなければ」という締切は、自分で作ったものだったりする。

同じように迷っている人へ

手帳を取るかどうか迷っている人は、たぶん「障害者」という言葉をどう受け止めるかということに、真剣に向き合っている人だと思う。それは軽い問いじゃない。

家の中でもこの話題をぼかしたままにしている感覚は、家族には通っていると分かっていて、何も伝わっていない気がするに近いと思います。誰にどう言えばいいのか、まだ言葉を持てていない。

答えが出なくてもいい。迷っていること自体が、自分の人生を丁寧に生きている証拠なのだと思う。

今日も足が踏み出せなかった人は、今日はここまででいい。このページは、いつでも同じ場所にある。

「障害者」として外に伝えることになったときの整理は、就労アトラスの障害の開示と就職活動にあります。手帳の前後ではなく、開示という言葉の側から読める読み物です。

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