嘘をついているわけじゃない。“作業所”という言葉だけが、家の中でいつも少し遠回しにされている。

実家からの電話で、必ず躓く質問

「最近どうなの」。この質問ほど答え方の難しいものはない。体調の話なら答えられる。作業の話も、ぼかせば答えられる。困るのは、「ちゃんとした仕事になるんですか」みたいな、先の方の質問だ。

即席で作った前向きな答えは、電話の向こうにはたぶん届かない。それでも「まあ、ぼちぼち」と返す。受話器を置いてから、ぼちぼちの中身を誰にも話していないことに気づく。

B型の工賃明細を、開く前に深呼吸する日があるに書いた通り、数字の話になると言葉は特に慎重になる。親に見せる数字としての工賃は、明細よりずっと小さく聞こえるのだ。

親戚の集まりでは、定義文だけで過ごす

親戚が集まる場では、あらかじめ用意した定義文を使う。「今は、通ってる場所があるんだよね」。これで一年持ちこたえる。

深掘りされそうになると、話題を転換する技術まで身についた。それはある意味で成長なのかもしれないけど、被説明能力が上がっただけという気もする。

通っていることが、負けのように見える日があるに書いた恥ずかしさは、外の人間よりも家族や親類の前で強く出る。一番近い人たちに、一番ぼかした自分でいるのは、少し不思議な話だ。

心配をかけないための省略が、積もると距離になる

話さない理由自体は、悪意じゃない。心配をかけたくない。働き方への細かい価値観でごちゃごちゃ言われたくない。「そんな場所やめて就職しなさい」という結論だけ先に返ってくるのが見えている。

でも、省略を重ねると、会話の地図から作業所の部分が消えていく。家族は私の生活の輪郭しか知らず、中身は推測で埋めることになる。推測はたいてい、実物より暗い色で塗られる。

距離を作っているのは私なのに、距離を寂しいとも思う。矛盾したまま、省略は続く。

全部を話す必要はない

このエッセイは「もっと家族に話そう」と励ますためのものではない。全部を話す必要はないと思う。話さない権利は、通っている本人にもある。

ただ、ひとつだけ選べることを選んでいいと思う。たとえば工賃の額は隠すまま、作業の中身だけ話す。将来の話は避けるまま、今日あった出来事だけ話す。全面開示ではなく、一箇所だけ窓を開けておく。

窓がひとつあれば、家族の想像は少しだけ正確になる。それだけで、電話の「最近どうなの?」の温度が変わる日が来るかもしれない。来ないかもしれないけれど。

同じ食卓を囲んでいる人へ

家族にぼかしたまま話している人がいるなら、そのぼかし方は卑怯じゃなくて、丁寧さの一種だと思う。ぶつかりたくない、悲しませたくない、と思って選ばれた言葉のはずだ。

ただ、ぼかした言葉を長く使っていると、本音の保管場所が自分でも曖昧になっていく。ときどき、どこかにメモしておいた方がいい。

ここでは、そのメモの場所になれたらいいと思っている。食卓には出さなくていい。置いておくだけでいい。

反対という形で届く家族の気持ちについては、家族に反対されて、通うのが少し遠くなったに続けて書きました。

手帳を取るかどうかという決断の話も、家族との関係の中で浮かぶことがあります。手帳を取りにいく一歩が、まだ踏み出せないに続けて書きました。

手帳を取るかどうかという決断の話については、手帳を取りにいく一歩が、まだ踏み出せないにもあります。

職場や選考で病名をどう開示するかという視点は、就労アトラスの障害の開示と就職活動に整理されています。家の中とは別の、外側への伝え方の話です。

通所家族説明しづらさA型事業所B型事業所モヤモヤ