数字は私の月を写しているようで、ほんとうは作業の単価を写しているだけかもしれない。
工賃は努力の点数ではない
工賃は、作業の単価と量と、受注の都合で決まる部分が大きい。私の頑張りだけで決まっているわけではない。
頑張って通う人ほど、便利な現場要員になる感じがするにも書いたけど、真面目に取り組むほど「なんでこの数字なんだろう」というずれが露呈する場所もある。
つまり明細は、努力の採点結果ではなく、その月の作業構成の記録に近い。頭ではそう理解している。
A型の人と比べてしまう瞬間
雇用契約があるかないか。制度の違いのはずなのに、「同じように通っているのに」という比べ方が、頭の隅でちらつくことがある。
相手を責めたいわけでも、制度を恨みたいわけでもない。ただ、比較が人格の差のように感じてしまう瞬間がある。
通っていることが負けに見える日の話は、通っていることが、負けのように見える日があるに書いた。工賃は、あの感覚にいちばん具体的な数字を渡してくる。
説明に使えない数字
家族に「今月いくらだった」と言うとき、言葉が少し躊躇する。数字が小さいほど、説明が弁解っぽくなる。
弁解しなければいけないようなものを、私はもらっているわけじゃないのに。
説明しづらさの正体は、数字そのものより、数字を見る人の顔を想像することにある気がする。
それでも、その場所を選んでいる
体調に合わせて量を調整できる。崩れそうな週は減らせる。続けられる形が、そこにある。
それは工賃の金額では買えない部分だと、自分では思っている。埋め合わさるとは言わない。埋め合わなくても選ぶ理由は、確かに存在する。
選んでいる、と言える日が増えると、明細の開け方が少しだけ変わるのかもしれない。
数字と自分のあいだに線を引く練習
明細は作業単価の記録であって、私の値札ではない。そんな線を、頭の中に引き直す練習をしている。
線を引いても、翌月にはまた揺れる。練習というのは、一度やったら終わりではなくて、毎月やり直すものらしい。
それでも、線がない状態よりは、いくらか楽だ。
同じ封筒の前にいる人へ
明細を開くのが怖い人がいるなら、その怖さは繊細すぎるんじゃなくて、真面目に生きている証拠だと思う。
数字を読む力と、数字から自分を守る力は別物だ。後者は誰も教えてくれないから、こうやって言葉にしておくしかない。
来月の明細のために、今月から練習しておこう。深呼吸の順番とか、線の引き方とか。
制度の側の動きとして報酬区分の見直しを受け取った日の話は、B型の報酬区分が変わった、という話を通所者の側で読むにも書きました。
手帳という形のある証拠を持つことへの迷いについては、手帳を取りにいく一歩が、まだ踏み出せないにもあります。
最後に、規模の話を一つだけ。厚生労働省の就労系障害福祉サービスの概要によると、B型の利用者は全国で約34.8万人。明細を開く前に深呼吸している人は、たぶん私だけじゃない。そう考えると、このページも少し意味があるのかもしれない。