相談しない選択をしたとしても、感じたことまで消さなくていい。小さな違和感にも、ちゃんと重さがある。
大きなトラブルではないから言いづらい
明らかな問題なら、まだ相談しやすいのかもしれない。誰が見ても困ること、すぐに対応が必要なことなら、話す理由を説明しやすい。
大きな出来事ではないからこそ、誰にも説明できないまま残ってしまう。
でも、小さな違和感は説明が難しい。相手に悪意があったわけではないかもしれないし、自分の受け取り方の問題なのかもしれない。そう考えると、口に出す前に止まってしまう。
相談したら面倒になるかもしれない、とも考える。支援員さんに気を遣わせるかもしれない。相手に伝わって空気が変わるかもしれない。そう思うと、飲み込む方が楽に見えてしまう。
その場では流せても、あとから残る
その場では流せることもある。笑って返したり、気にしていないふりをしたり、作業に集中して忘れようとしたりする。
その場では笑って流せたのに、帰り道で急に思い出すことがある。
でも、帰ってから思い出すことがある。布団に入ってから、あれはやっぱり嫌だったのかもしれないと思う。翌朝になっても、少しだけ気持ちが重いまま残っていることもある。
その場で何も言わなかったからといって、平気だったわけではない。流せたように見えただけで、内側ではまだ引っかかっていることがある。
自分が神経質なのか分からなくなる
小さな違和感が続くと、自分が神経質なのか分からなくなる。みんなは普通に受け流しているのに、自分だけ気にしすぎているのではないかと思う。
作業所は支援の場でもあるから、なおさら言いづらい。配慮してもらっている立場なのに、不満を持つのはわがままなのではないか。そういう考えが頭をよぎる。
でも、本当に何も感じていないなら、何度も思い出したりはしないのだと思う。自分の中に残っている時点で、それは自分にとって無視できないことだったのかもしれない。
ありがたいことの中に引っかかりが混ざる感覚は、簡単な作業を褒められると、なぜか苦しいにもあります。感謝と違和感が同居しているとき、口に出せるのはだいたい感謝の方です。
でも違和感はなかったことにならない
相談しなかったからといって、違和感がなかったことになるわけではない。誰かに説明できなかったからといって、自分の感覚が間違っていると決まるわけでもない。
もちろん、感じたことがすべて正しいとは限らない。相手には相手の事情があるし、自分の体調や疲れで受け取り方が変わることもある。
それでも、引っかかったという事実は残る。そこを無理に消そうとすると、あとから別の形でしんどくなる気がする。
言葉にするだけで少し距離が取れる
このサイトは、そういう言いづらい違和感を静かに置いておく場所でもある。相談窓口のように答えを出す場所ではなく、誰かを責める場所でもなく、ただ『こう感じた』を一度言葉にしてみる場所。
言葉にしたからといって、すぐに解決するわけではない。作業配分が変わるわけでも、人間関係が急によくなるわけでもない。
でも、言葉にすると、少しだけ距離が取れることがある。自分が何に疲れていたのか、どこで引っかかったのかが見えやすくなる。それだけでも、飲み込んだまま抱えるよりは少し楽になる。
同じように飲み込んできた人へ
もし、相談するほどではないと思って飲み込んできたことがあるなら、その選択を責めすぎなくていいと思う。言わない方が安全に感じる場面はあるし、波風を立てたくない日もある。
でも、相談しない選択をしたとしても、感じたことまで消さなくていい。あの時少し嫌だった、なんとなく引っかかった、後から思い出してしまった。そういう感覚にも、ちゃんと重さがある。
大きな声にしなくてもいい。誰かを責める形にしなくてもいい。ただ、自分の中に残った違和感を、なかったことにしないでおく。それだけで少し、自分の味方になれる気がする。
この話の続き
相談するほどではない違和感を、配慮のお願いに近づける前段階として、「合理的配慮をお願いする前に、困りごとを言葉にする」に分けて書きました。
いざ相談したあとの気まずさについては、支援員さんに相談したあとが、いちばん気まずいに続けて書いています。
違和感を制度の正解にすぐ変換するのではなく、まず何が重かったのかを小さく言葉にするための続きです。
制度や研究の言葉まで進めたいときは、就労アトラスの配慮事項を診断名ではなく困りごとから伝える整理も入口になります。不満をぶつける前に、困りごと、作業への影響、試せそうな調整へ分けるための読み物です。