ありがとう、と言い返しながら、心の中で同じ言葉を三回くらい読み直している。
褒め言葉の中にある距離感
大人同士の職場では、仕事の完成に対して「助かる」「綺麗に仕上がってる」という言葉が使われる。「よくできました」は、たぶん子どもに向ける言葉だ。
作業所だから、その方が伝わりやすいのかもしれない。けれど賃金をもらって働いている側としては、自分の時間がどう扱われたかの証明を毎回求められている気がして、少し疲れる。
褒めてもらえていること自体は、たぶん有り難い。有り難いと同時に、なんだろう、という話。
感謝すべきか、違和感を持っていいか
支援員さんに悪気がないことは分かっている。むしろ、私が委縮しないように言葉を選んでくれている形跡もある。
相談するほどではないけど、ずっと残る作業所の違和感と同じで、相手に責められる材料が一切ないからこそ、この違和感は口に出せない。
感謝と違和感は同居できる。どちらか一方を選べと言われたら、私はたぶん両方持ったまま黙る。
難しい作業への褒め方との差が、気になる
たまに少し難しい工程を任されたとき、成功しても失敗しても、言葉が変わる。難しいものへの言葉は冷静で、簡単なものへの言葉は甘い。
その差が表しているのは、私への期待の大きさだ。期待が低いから、低い基準で褒めてくれる。それは配慮なのか、諦めなのか、確かめる方法がない。
この作業を、「仕事」と呼んでいいのかまだ決めかねているに書いた仕事観の話ともつながる。褒め方という鏡に、自分の居位置が映る日がある。
違和感を言葉にするとしたら
口に出すとしたら、「褒め言葉は控えめにしていただけるとうれしいです」という形になるのだろうけど、これをお願いする勇気はまだない。
合理的配慮をお願いする前に、困りごとを言葉にするに書いた方法なら、「結果より進め方を一緒に見てもらえると嬉しい」という言い方に置き換えられるかもしれない。
お願いするかどうかは別として、困りごと言葉にしておくこと自体には意味がある。夜の反芻が少し短くなるかもしれない。
同じ夜を過ごす人へ
褒め言葉に違和感を覚えるのは、感受性が強すぎるからでも、感謝を忘れているからでもない。大人として働く実感を大事にしている証拠だと思う。
成果の記録は、他人の言葉とは別に、自分の手元に取っておこう。何ができたか、何が前より楽になったか。それは「よくできました」より正確な評価になる。
今日の「よくできました」が重かった人は、おやすみなさい。明日は、もう少し軽い言葉が出ますように。
扱われ方と仕事への満足度の関係を研究の言葉で読みたいときは、就労アトラスの合理的配慮は仕事満足度をどう変えるのかがあります。褒め方の違和感も、条件の話に翻訳できるかもしれない。