退屈だと言えたら楽なのに。つまらないと言うと、場所まで否定したことになる気がする。

単調さを責めたいわけではない

単調な作業には、たしかに良い部分がある。朝の体調が悪くても続きやすい。ミスを恐れて固まる必要もない。静かに自分のペースでいられる時間は、ほかの場所では意外と貴重だ。

誰かにとっては、そこがちょうどいいのかもしれない。実際、私もそういう日を大切に思っている。

ただ、良さと「伸びている感覚」は別の話だった。良さの説明はできるのに、成長の手応えだけが、ここ最近ずっと薄い。

「つまらない」と言えない理由

単調さを口に出すとき、いつも言い方に困る。「つまらないです」と言うと、作業を用意してくれる人を否定することになる気がするし、「物足りないです」だと贅沢に聞こえる。

相談するほどではないけど、ずっと残る作業所の違和感に書いたのと同じ構造だ。大きな問題ではないからこそ、言葉にするコストの方が高く見えて、飲み込んでしまう。

飲み込んだ単調さは、消えるのではなくて、通所路の中で少しずつ重くなる。

成長の形が変わっているだけかもしれない話

よく考えると、ここで身についたのは作業スピード以外のものだったかもしれない。体調が崩れる前に自分を止める癖。指示が曖昧なまま進める勇気のなさと、それを聞き直す一言。休む連絡の文面。

そういう成長は、数字や工程表に出ない。だから実感として掴めないだけで、ゼロとは限らない。

休み方と戻り方も、同じ種類の見えない成長だと思います。休んだ日の扱いで、事業所との相性が見えるに書いた通り、休んだあとに戻れるかどうかは、続ける力の一部だったりします。

とはいえ、これは慰めであって納得ではない。慰めを押しつけて単調さの話を閉じたくはないのだ。

次につながる作業への希望は、わがままではない

PC作業や、少し複雑な工程に触れたい、という希望を持つ人は多いと思う。在宅配慮は分かる。でも、通所している人もしんどいにも書いた通り、希望する作業と回ってくる作業が離れると、通う意味の設計ごと揺れる。

希望を言うときのコツは、「単調なのは嫌です」ではなく、「訓練目標に近づける作業を少し増やせませんか」という形にすることかもしれない。責める言葉から確認する言葉へ、角度を変えるだけでも届き方が変わる。

通るかどうかは分からない。でも、希望を言葉にしておくことと、黙って数えることでは、半年後の作業台の上がちがうはずだ。

単調さを少しだけ動かす視点

全部を作業台ごと変える必要はないのかもしれない。工程の違う作業を週に一度混ぜる。検品だけ担当する日を作る。新しい工程の声かけを一度だけ聞いてみる。

どれも小さい。事業所の都合で叶わないこともある。ただ、単調さは「量」の問題として語られがちだけど、実態は「変化の欠如」の問題なのではないかと思う。

変化の欠如なら、求めるのは大量の新しい仕事ではなくて、小さな差し替えでいい。そう考えると、相談の入口が少し下がる気がする。

入口が下がっても、言葉にするのが一番高い壁だったりします。合理的配慮をお願いする前に、困りごとを言葉にするの整理をしておくと、「単調なので何とかしてください」より少し具体的に頼めるはずです。

同じ時間を過ごしている人へ

退屈と安定は、紙一枚の差で隣り合っている。どちらか一方だけを選べといわれても、選べないのが実情だろう。

成長している気がしない日があっても、その問いを持っている時点で、手を止めて考えていられる人だと思う。流されている人ほど、この問いは浮かばない。

答えはまだ出せない。ただ、「単調だな」と思った日のことを、ここに置いておくことはできる。

作業の割り振りと単調さを制度の視点から読みたいときは、就労アトラスのA型作業所の作業配分にモヤモヤしたら?があります。ここは感覚の側、あちらは構造の側です。

作業内容単調作業A型事業所B型事業所自己評価モヤモヤ