休んだ日そのものより、休んだあとに戻れるかどうかで、その場所との相性が見えることがある。
責められないだけで、戻りやすさが変わる
休んだ翌日、何も責められずに戻れるとほっとする。大げさに心配されすぎず、冷たくもされず、いつもの作業に自然に戻れると、それだけで安心する。
反対に、理由を細かく聞かれたり、空気が少し変わったりすると、次に休むのが怖くなる。迷惑をかけた感覚だけが残って、通所そのものが重くなる。
休んだ日の扱いは、その人が弱いかどうかではなく、その場所が戻りやすいかどうかを映している気がする。
翌日の作業量にも相性が出る
休んだ分を取り戻すように作業が積まれると、戻った日がさらに重くなる。休んだことで回復したはずなのに、翌日でまた削られてしまう。
「戻ったんだから大丈夫」という空気も、少し負荷になることがある。通所できている人は、元気な人ではないに書いた通り、「大丈夫」という言葉の中身は、外からは見えにくいものです。
もちろん、仕事には締め切りがある。誰かが代わりに進めてくれた分もある。そこは分かっている。
それでも、戻った日に少しだけ様子を見てもらえるかどうかで、安心感は大きく変わる。休んだ人を罰するような空気にならないことは、続けるうえで大事だと思う。
休める場所は、通いやすい場所でもある
休みやすい場所は、さぼりやすい場所という意味ではない。必要なときに休んでも戻れる場所は、結果的に通いやすい場所だと思う。
休むことに過度な怖さがあると、体調が悪い日にも無理をする。無理をして通うと、次の休みがもっと長くなることもある。
無理をして通う日の重さは、作業所に行きたくない朝は、休めない朝でもあるに書いた感覚に近い。休めないことが、かえって続けにくさを作っている気がします。
休みをどう扱うかは、通所を続けるための土台に近い。休めるからこそ、また行ける日がある。
休む回数が増えてきたとき
一度なら仕方ない。二度目も大丈夫。でも三回、四回と休む日が増えてくると、自分の中で何かが変わる。「また休んだ」という事実が、積み重なって別の重さになる。
週何日通えれば、ちゃんとしていることになるのかに書いた採点の癖と同じで、休む回数が増えるほど自己評価は下がる。そして下がった自己評価が、次に休むときのハードルをさらに上げる。
事業所側の受け止め方も少しずつ変わるかもしれない。言葉は優しいままでも、何かが違う。それを感じたとき、通所の休み方について一度立ち止まって考える価値がある。
相性を責める言葉にしない
相性が合わないと感じたとしても、すぐに誰かが悪いと決めたいわけではない。事業所にも事情があるし、支援員さんにも抱えているものがある。
それでも、自分が戻りにくいと感じるなら、その感覚は無視しなくていい。休んだ日の扱いで心が重くなるなら、それは相談していい困りごとかもしれない。
休めるかどうかではなく、休んだあと戻れるかどうか。そこに、その場所との相性が静かに出る。
「通えていること」と「元気なこと」の違いを制度や研究の言葉で整理した読み物は、就労アトラスの通所できている人は元気なのか?出勤できることと余力の違いにあります。
休む連絡ほどでもない違和感を飲み込む感覚は、相談するほどではないけど、ずっと残る作業所の違和感に近いのかもしれません。