隣の席の人は、数か月前の私みたいに緊張していて、私はそれを見ながら、自分の最初の日を思い出す。
案内する役でも、仲間になった気分でもない
私の立場は、あいだにある。案内するほどの役職はないし、だからといって完全に無関心でいられるかというと、それもできない。
見学に来る人の顔を、通所の朝に思い出すに書いた見学者と似ているけれど、体験の人はもっと長くいる。半日を一緒に過ごすと、もう少し何かが見えてくる。
困っているのか、集中しているのか。声をかけるべきか、放っておくのが優しいのか。この判断を、私は毎回間違っている気がする。
緊張は、手の止まり方に出る
緊張している人の特徴は、作業量じゃなくて、手の止まり方にある。次の工程の前で一瞬ためらう。誰かが通りかかるたびに手が止まる。
通所の疲れは作業量ではなく、人の密度から来るに書いた感覚と近いけれど、体験の人の場合は、未知の環境のすべてが情報として処理される状態だと思う。
私が今できるのは、自分の作業を静かに続けることだけだったりする。それが結果的に、「ここでは普通にしていていい」という空気を作っているのだとしたら、いいなと思う。
自分の最初の日を思い出す
隣の席の人が帰った後、ふと思い出す。私も最初の日、名前の呼ばれ方一つで緊張した。昼休みに入れるタイミングが分からなくて、誰かの出方を待っていた。
支援員さんに相談したあとが、いちばん気まずいにも書いたけど、新しい場所での「初回の気まずさ」は、どの場所でもある程度共通している。慣れるまでの設計が、そこには必要だ。
あの日の自分に教えてあげたい。「半年後には、隣の席の体験の人を気にかけているよ」と。
体験の日は、判断日ではない
体験利用で一日いたから分かった、とは言えない。良い日しか見えないこともあれば、悪い日に当たることもある。見学に来る人の顔を、通所の朝に思い出すにも書いた通り、一日はサンプルに過ぎない。
大事なのは、体験の日の印象だけで決めないこと。そして逆に、「今日はなんとなく合わなかった」だけで切らないこと。複数回、別の曜日に来てみると、場所の別の顔が見える。
判断は、十分な情報が集まってからでいい。
体験を終えて正式に通い始めた最初の一ヶ月の戸惑いについては、体験のときとは違った。正式に通い始めて最初の一ヶ月に続けて書きました。
体験に来た人へ
隣の席で作業していた私たちが、あなたのことを評価していたわけではない。むしろ、あなたの方がずっと勇気を出していた。
緊張でうまく話せなくても、手が止まっても、それは体験の日の正常な動きだと思う。私もそうだった。
また違う曜日に来たら、そのときはもう少しだけ、自然に挨拶できるかもしれない。楽しみにしています。
これから見学に行く側の確認リストが必要なときは、就労アトラスのA型・B型の見学で聞くことリストをどうぞ。受け入れる側の感覚はここに、聞くべきことの整理はあちらにあります。