疲れた理由を作業量で説明できない日がある。人の気配の中にいただけで、内側の余白がなくなる日がある。
声、視線、動き、空気
作業所には、いろいろな刺激がある。誰かの声、足音、椅子の音、職員さんの指示、近くで動く人、休憩室の雑談。
ひとつずつは小さい。でも、全部を受け取りながら作業すると、頭の中が少しずつ埋まっていく。集中しているつもりでも、周りの情報を完全には切れない。
人の密度が高い場所にいるだけで、見えない処理が増える。疲れの理由がはっきりしないのは、その処理が作業として数えられていないからかもしれない。
入力を少しでも減らせないかと考えたとき、真っ先に浮ぶのは音だ。作業中にイヤホンを使っていいか、聞けないまま数ヶ月が過ぎたに書いた通り、聴覚からの入力を自分で調整できるだけで、頭の中の余白は変わる。
休憩時間も休憩にならないことがある
休憩室に行けば休める、とは限らない。雑談がある。席の距離が近い。誰かの気分を読んでしまう。会話に入るか、入らないかを考えるだけで疲れる。
ひとりでいたいのに、ひとりでいると浮いて見えるのではないかと気になる日もある。休むための時間なのに、社会的な選択をずっとしている感じがする。
休憩中まで人の密度が続くと、作業が終わるころには余白が残っていない。
誰かとの距離をどう取るかで消耗する感覚は、人間関係の距離感を自分で調整するに書いた違和感とも通じている。距離を自分で決められない場所では、休むことすら他人の配置次第になる。
説明しにくい疲れほど、軽く扱われやすい
この疲れは、説明が難しい。作業量が多かったわけではないから、疲れたと言いづらい。体力仕事をしたわけでもないから、休みたい理由にしにくい。
でも、説明しにくいから軽いわけではない。人の中にいるだけで削られる日がある。音や視線や気配を処理し続けることが、作業とは別の負荷になる人もいる。
通所の疲れを作業量だけで見ないでほしい。そこには、人の密度に耐えていた時間も含まれている。
少しだけ密度を下げる相談
全部を在宅にしなくても、人の密度を少し下げる方法はあるかもしれない。席の位置を変える。休憩をずらす。イヤーマフや耳栓を使う。声かけの回数やタイミングを調整する。
もちろん、どれも必ず通るわけではない。事業所の事情もある。でも、疲れの理由を「人の密度」として言葉にできると、相談の形が少し具体的になる。伝え方そのものに迷うときは、作業所への要望を言葉にするのが苦手も参考にしてもらえたらと思う。
作業量では説明できない疲れにも、名前をつけていいと思う。
密度が低い日との落差で気づくこと
たまに、人が少ない日がある。休む人が多かったり、別日程の行事があったり。そんな日は、いつもより楽に過ごせることに気づく。
その落差が、自分の疲れの正体を教えてくれる。作業量が変わっていなくても、人の数が減るだけで肩の力が抜ける。「私が疲れているのは、仕事のせいじゃなくて、人に囲まれているせいなんだ」と初めて確信できる。
逆に、密度が高い日に比べて集中力が違うことも分かる。同じ時間働いても、静かな環境では頭の中の余白が残る。
作業所に行きたくない朝は、休めない朝でもあるに書いた朝の重さは、この密度の蓄積が一因かもしれない。毎日の疲れが消えないまま次の日を迎えると、朝のハードルが少しずつ上がっていく。
席や環境の調整を配慮として整理する視点は、就労アトラスの合理的配慮とは?障害者雇用で伝えること・伝えすぎないことにもあります。「人の密度」を相談言葉にする足がかりです。