毎日が新しい発見というのは嘘で、毎日が新しい覚え事というのが正しい。
覚えることが、爆発した
曜日ごとの工程、休憩室の場所、トイレの位置、声のかけ方、提出物、月の予定の見方。一つずつは小さい。でも、全部が同時に新しい。
「毎日が新しい発見というのは嘘で、毎日が新しい覚え事というのが正しい」という言葉をどこかで読んだ気がするほど、最初の一ヶ月は覚えることの連続だった。
覚えることが多いのは、働いている証拠でもあるのだと思う。何も吸収していない人ほど、楽なのだろうから。
名前を覚えるのが遅くて、申し訳ない
利用者さんや職員さんの名前を覚えるのが遅かった。顔と名前が結びつくまで二週間かかった。「あの人の名前はなんだっけ」と思いながら挨拶を濁す日が続いて、申し訳なさでいっぱいになった。
でも、誰かの話では、これも最初の一ヶ月あるあるらしい。みんな通ってきた道なのだと思う。そう考えると少し救われる。
名前を間違えて呼ばれ続ける側の気持ちも、きっと複雑なのだろう。両方に事情がある。
休憩時間の居場所を探す一ヶ月
作業所の人間関係で、距離感に疲れる日があるに書いた通り、休憩室の席を選ぶのは今でも緊張する。まして最初の一ヶ月は、どこに座ればいいのかまるで分からなかった。
窓際に座る人、中央のテーブルを囲む人、別室で過ごす人。それぞれの距離感がある中で、自分の居場所を少しずつ探す。これは一ヶ月では完成しなくて、三ヶ月くらいかかる作業なのかもしれない。
焦らなくていい、と言い聞かせながら、毎日の休憩を過ごしていた。
一ヶ月経って、見えてきたもの
一ヶ月経って、少しだけ見えてきたことがある。曜日のリズム。職員さんの声のトーンと本気度の対応表。自分の体調が崩れる前兆のパターン。
体調の前兆と天気の関係については、雨の日は、身体が先に知らせてくるにも書きました。前兆を言葉にできるようになると、休む判断も少し早くなる気がします。
まだ足りないものもある。会話に入るタイミング。困ったときに頼れる相手の顔ぶれ。それらはこれから、もう少しずつ埋まっていくのだろう。
一ヶ月という区切りをつけて振り返ると、戸惑いの記録の中に、小さな進歩の痕跡が混ざっていた。それは悪くない一月だったと言える。
体験の記憶と現実の差を責めない
体験のときの方が良かった、と思ってしまう日がある。体験は特別扱いされて当たり前の日だから、普通の通所日と比べるのはフェアじゃないのに、心は勝手に比べてしまう。
差があるのは当たり前。体験と現実の差を責めていると、通所そのものが苦痛になる。差があることを前提に、「現実をどう整えるか」に頭を切り替えた方が建設的だ。
整えるには時間がかかる。それでも、切り替えさえできれば、道は開ける。
これから通い始める人へ
体験で良い印象を持って入所したのに、最初の一ヶ月で戸惑う人がいたら、それはあなたの問題ではなくて、体験と日常の構造的な差異の問題だと思う。
覚えることは多いし、名前はすぐには覚えられないし、休憩の席は迷う。全部、最初の一ヶ月あるあるだ。
焦らずに。三ヶ月目には、今日の戸惑いが少し懐かしくなるくらいには、場所は馴染んでいく。そう信じて、もう少しだけ続けてみてほしい。
通所の疲れが人の密度から来ている話は、通所の疲れは作業量ではなく、人の密度から来るにもあります。