『自分で選んでいいですよ』と言われるほど、選ぶ責任が重く感じられる日がある。

制度を、生活の言葉で言い換えるなら

説明を読むと、就労選択支援は「働き方を選ぶ前に、本人の希望や適性を一緒に整理してくれる場所」らしい。どこへ振り分けるかを決める場所ではない、とも書いてある。

生活の言葉にすると、「次の場所を決める前に、一度立ち止まる時間をもらえる仕組み」ということになるらしい。期間は原則一か月で、毎日通うものでもない。

細かいところは厚生労働省の就労選択支援実施マニュアルを見た方が正確だ。ここでは、その手前の気持ちだけを置いておきたい。

なお、制度が広がるにつれて、事業者が系列の事業所へ誘導するのではないかという公正性への懸念を報じるメディアも出てきている(毎日新聞2026年7月15日付英語版記事など)。最初に身構えた感覚は、裏付けのある警戒だったのかもしれない。

「選ばされる」感覚の正体

「自分で選んでいいですよ」と言われると、たいてい私は少し嬉しい。けれど同時に、外せない重さも背負う。選んだ結果への責任は、全部こちらのものになるからだ。

選択肢を並べられると、目が勝手に「どれが正解か」を探し始める。「今のまま残る」という選択肢は、紙の上ではいつも小さくしか見えない。

選べることが自由であることは分かっている。それでも、選ばされる気がする日がある。この二つは、同じ朝のなかに同居している。

入り口に立つ人から、順に通っていく工程

制度上は、B型の新規利用で原則この就労選択支援を使うことになっているらしい。A型や移行支援の更新は、2027年4月から。つまりこれから入り口に立つ人から順に、「選ぶ工程」を通っていくことになる。

行きたい場所がもう決まっている人にとっては、「まず別の場所で整理して」と言われる工程が、遠回りに見えるかもしれない。疲れている人にとって、遠回りは本当に遠回りだ。

朝の重さが制度の話より先に来る日のことは、作業所に行きたくない朝は、休めない朝でもあるに書きました。工程を考える前に、まず体力の心配が来るのだと思う。

ミスマッチでつぶれる人を減らしたい、という現場の事情もあるのだろう。紙の上の理屈と、朝の重さのあいだには、いつだって段差がある。

もう通っている人にも、余白がひとつできた

一方で、もう通っている人にも無関係ではないらしい。利用開始後にも、希望すれば就労選択支援を受けられることになっている。つまり「今のままでいいのか自分でも分からない」という状態に、制度上の入口ができたことになる。

「今のままでいいのか分からない」という感覚そのものは、作業所を辞めたいのに、辞めたいと言えないに近い場所にあると思います。辞めたいほどではないのに、このままでいい気もしない。そのあいだの揺れには、ちゃんと名前がなかった。

今の場所を変えたい、見直したい、と言い出しづらい話は、A型から障害者雇用を考えたい、と言うのが怖いにも書いた。変える側に立つのは、いつだって怖い。

「見直したい」という言葉を、制度が公式に用意してくれた。その一言が使えるだけで、口を開くまでの距離が少しだけ縮まる人がいるかもしれない。

中間地点を探す話と、つながっている

在宅と通所のあいだを探す話も、結局は同じテーマだった。在宅と通所のあいだに、中間地点はないのかに書いた通り、二択に押し込められたとき、人は一番苦しくなる。

就労選択支援が本当に機能するなら、二択の前に立ち止まる時間を保証してくれるものになるのかもしれない。保証されるとは限らないけれど、言葉としては、初めて制度の側に置かれた気がする。

同じように受け取った人へ

新しい制度の名前を聞いて、身構えた人もいるだろう。「また評価されるのか」「今の場所がダメと言われるのか」。そう感じるのは、おかしいことじゃないと思う。

制度が良いものとして届くかどうかは、運用と、向き合う人の態度で変わる。私たちにできるのは、受け取り方を少しだけ記録しておくことくらいかもしれない。

選ばされる気がする日も、選ばなくてもいい日もある。その両方を、ここに置いておく。

もうひとつ、背景として知っておいていい話がある。雇用と福祉の役割分担そのものを見直すための検討会が、令和8年の夏、厚生労働省で開かれている(障害者就労に係る雇用福祉横断検討会)。A型もB型も、この制度の形は今まさに議論の途中にある。だからこそ、受け取り方の記録を続けることには意味があるのだと思う。

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